あの日私はどう生きる ⑬生還

1993.7.12

安いファミリーテント…

私達家族が裕福層で
使用しているテントが大層な物なら
全員残らず死んでいたかもしれない

安いから
姉の歯で噛みちぎって脱出する事が出来たし
ポールも上手い具合に岩に引っかかってくれたのかもしれない

何が起きたかわからない状態のまま
私達家族はひび割れて隆起した5号線を
安全であろう方向へガムシャラに逃げた

途中で避難中の近隣住民に出くわし
公民館の様な場所に誘導してもらい

そこで一夜を過ごす事になった…

自宅が無事な人
家の中で冷蔵庫が浮かんでいる人
様々な人が避難しに来ていて

その中でも
自宅が無事だった方々が
全身ずぶ濡れの私達家族に乾いた洋服を
提供してくれた…

その後に聞いた母の話だと
母は最初
テント周辺で飛んでいるヘリコプターの音で目が覚めたらしい…

ヘリコプターでは無くて
波が押し寄せる音だったわけだけど